判例紹介(特許法36条6項2号、36条4項関係)
判決日は平成17年3月30日と少し古いが明細書の記載要件を理解する上で役に立つので取り上げることにした。
事件番号: 東京高等裁判所 平成15年(行ケ)272号
1.事件の概要
特許請求の範囲(クレーム)に記載された「平均粒径」という用語の明確性(36条6項2号)と、クレームに記載された発明の実施可能要件(36条4項)が争われた事件である。
2.手続の経緯
H08. 2. 6 特許出願(特願平8-19885)
H13.6.15 特許
H14. 2.12 特許異議申立(申立人A)
H14. 2.13 特許異議申立(申立人B)
H14.12.10 取消理由通知
H15. 3. 7 意見書提出
H15. 4.30 異議決定(取消決定) 「36条4項及び36条6項2号違反」
H15. . 異議決定取消請求
H17. 3.30 請求棄却
3.特許請求の範囲
【請求項1】 平均粒径が3~15μmの不活性微粒子を0.3~2重量%を含む密度が0.88~0.91g/cm3 であり、重量平均分子量/数平均分子量が1~3である線状低密度ポリエチレンよりなるA層と、平均粒径が2~7μmの不活性微粒子を0.3~1.5重量%を含む密度が0.905g/cm3以上で、かつA層に用いた線状低密度ポリエチレンの密度より高い密度である線状低密度ポリエチレンよりなるB層とからなることを特徴とする線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
【請求項2】 A層/B層の厚み比が0.01~2であることを特徴とする請求項1記載の線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
【請求項3】 A層に含まれる不活性微粒子が、架橋有機高分子よりなる微粒子であることを特徴とする請求項1または請求項2記載の線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
4.異議決定(特許庁の判断)の要旨
(1)特許法第36条第6項違反について
請求項1~3に係る発明において、不活性微粒子の「平均粒径」を特定しているが、明細書中に該粒子の粒径測定方法および「平均粒径」の定義又は説明が何ら記載されておらず、一般的技術常識を考慮しても「平均粒径」の概念が明確でなく、粒子が特定できないから、本件請求項に係る発明が明確に記載されているものとは認められない(「平均粒径」には、種々の測定方法及び定義があり、同じ粒子を測定しても、測定方法と平均粒径の算出方法に依って、平均粒径が異なるのであるから、平均粒径が具体的にどのような方法により求められたのかが特定されていなければならない)。
(2)特許法第36条第4項違反について
発明の詳細な説明の欄の記載において、平均粒径の測定方法、数値的に平均粒径がどのような方法によって求められたのかが何ら記載されておらず、粒子が特定できないから、発明の詳細な説明は、当業者が本件発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されているものとは認められない。
5.裁判所の判断
(1)36条6項2号違反について
そうすると,粒子の形状,代表径の取り方,平均粒径の意義,測定方法のいずれも特定されていない本件発明においては,平均粒径の数値範囲だけが明記されていても,それがどのような大きさの不活性微粒子を指すかは(本件発明において不活性微粒子が製造工程で実質的に変質せず,材料段階での平均粒径を考えればよいとしても)不明であるといわざるを得ない。
(2)36条4項違反について
1で述べたとおり,本件明細書には,平均粒径の意義,測定方法の特定がなく,また,メーカー名・商品名を明示することにより用いる不活性微粒子を特定してもいない。そうすると,当業者は,どのような不活性微粒子を用いればよいか分からないのであるから,本件明細書は,当業者が発明を実施できるように明確に記載されていないことになる。
原告は,市販品を入手して追試ができると主張する。しかし,この追試をするためには,当業者は,すべての平均粒径の意義・測定方法について,これらを網羅して,平均粒径を測定して本件発明の数値範囲に当てはまるものを用い,本件発明の効果を奏するものかを検証する必要がある。特許は,産業上意義ある技術の開示に対して与えられるものであるから,当業者にそのような過度の追試を強いる本件明細書の開示をもって,特許に値するものということはできない。
6.実務の指針
クレームは審査対象を特定すると共に、権利範囲を画定する役割を担うものであり、その記載の明確性は、極めて重要な特許要件の一つである。特許庁における審査・審判において特許要件を判断する際、また、裁判所における権利範囲の充足性判断の際など、多くの局面において、クレームが各構成要件に分説されて、検討される。
従って、一つ一つの用語の選択には細心の注意を払う必要性があり、技術用語として確立され、疑義が全く生じ得ないものを除き、「本明細書において、本発明における△△とは、・・・を意味するものとする。」のような、定義的規定を極力設けるべきである。発明者にとっては説明するまでもないほど常識に思えることであっても、できるだけ正確に定義を記載すべきである。特許庁の審査(審判)段階において指摘される場合もあるが、仮に審査をクリアして無事に特許されたとしても、特許後は侵害被疑者或いは無効審判請求人等の対立当事者に余計な反論のスキを与えるからである。
次に、本事案では、結局特許は取り消された訳だが、一歩進んで、仮にこれが特許になったと仮定して、侵害事件の段階を想定してみる。
A.平均粒径が3~15μmの不活性微粒子を0.3~2重量%を含む密度が0.88~0.91g/cm3 であり、重量平均分子量/数平均分子量が1~3である線状低密度ポリエチレンよりなるA層と、
B.平均粒径が2~7μmの不活性微粒子を0.3~1.5重量%を含む密度が0.905g/cm3以上で、かつA層に用いた線状低密度ポリエチレンの密度より高い密度である線状低密度ポリエチレンよりなるB層と
C.からなることを特徴とする線状低密度ポリエチレン系複合フイルム。
ここで「構成要件A」をさらに分解する(このクレームは一文が長く、構成要件の分説も容易でないため、このような作業が必要となってしまうのである)。
まずA層の特徴を例にとると、A層は、下記の特徴を備えている。
A1 平均粒径が3~15μmの不活性微粒子を含む線状低密度ポリエチレンであること
A2 線状低密度ポリエチレンに含まれる不活性微粒子の濃度は0.3~2重量%であること
A3 線状低密度ポリエチレンの重量平均分子量/数平均分子量が1~3であること
A1の充足性を議論するためには、少なくとも、「平均粒径」「不活性微粒子」「線状低密度ポリエチレン」という用語の意義が明確に特定される必要がある。なぜなら、これらの用語はいずれも多義的であり、クレームのみの記載から明確に特定されるものではないと考えられるためである。特に、平均粒径などは、多くの技術分野で用いられるだけに、その特定方法には注意すべきである。
以上の通り、クレームに使用すべき用語の選択には細心の注意を払うことが必要である。また、今回争点とはならなかったが、上記クレームは、数値範囲で特定される発明であり、イ号製品がその数値範囲に含まれる範囲で実施していることを、特許権者が立証しなければならない。しかし、数値は測定方法によってばらつくこともあり、一般的に争点となりやすい。多くの場合、数値は単に実施可能である範囲の一部を選択的に記載したにすぎず、なぜその範囲が有効であるのかを客観的に説明することが困難な場合も多い。このため、数値自体が発明である場合(例えば臨界的意義がある場合など)を除いては、数値で特定することは一般的にはあまり好ましくない。
このような理由からも、クレーム構成要件の充足性を立証することが困難であるようなクレームは、極力避けるべきである。